この人なら信頼できるかしら。
そう思ってふと胸の内にあることを話す。
ボディブローのように日々打ち込まれるマイクロアグレッションや、メディアでのプレゼンテーションがないことによる居場所のなさ・ロールモデル不在のキツさ・美の基準の押し付け。ステレオタイプでのイメージ固定化の猛威、そして、社会やビジネスの場にシステマチックに存在する見えない天井と壁があること、数年に一度ペースで不意打ちで街中で受ける高圧的な職質のことなどを。
善意の場合もあるし、人によっては呆れたように「じゃあ日本に住まなければいいじゃない」と、時を変え、場所を変え、人を変え、何度も言われてきた。
とても不思議だ。
自分のルーツがあって、生まれ育ってきた慣れ親しんだ場所で、好きな文化や、愛する景色がある場所から去るという決断を、どうしてそんなにも簡単に言えるのか。
もうひとつ引っかかるのは、日本から出ればわたしの身に起きているレイシズム的なイベント事がなくなるという前提の発言だということ。
アメリカに行った時、アメリカにもルーツがあると言ったが「あなたはわたしたちには属さない、アジア人」と言われたことへの驚きを覚えている。
ドイツのレストランで知り合いと日本語で話していたら、隣の席の人に話しかけられてルーツを聞かれた。「んーでもあなたってどこにも属してない見た目ね!」と言われた衝撃を忘れることはない。
こういったエピソードはまだまだいくらでもある。
言いたいのは、どこに行ってもルーツや、見た目から生み出される天井や壁は常に存在する。